祝!好きしょソフト化&アニメ化

18歳以下禁止!

【好きなものは好きだからしょうがない!!】は何回も繰り返しますが、18歳以下禁止の成人向けのボーイズラブ作品です。18歳以下禁止。それは18歳以上のみ大人だけが許されているということです。アダルトゲームは判断能力に劣る子供がプレーするには適さない性的な表現が含まれるコンピューターゲームソフトウェアのことで、性的なものだけではなく暴力的であったり反社会的な表現がある場合も18歳以下禁止になっています。

アダルトゲームの歴史 その1

アダルトゲームのジャンルは、アドベンチャーゲームと、ビジュアルノベルが圧倒的多数を占めています。資金や知名度の乏しいクリエイター達とその集団が創作を行なう場として定着しています。「成人向け作品として必要量の裸と“場面”を出しておけば、後は予算と納期と倫理基準の範囲内でクリエイターに裁量が与えられて、自由に表現を追求して創作意欲を満たせる」というスタイルは、今はすっかり廃れてしまいましたが、かつての日活ロマンポルノの成人映画製作とよく似ているシステム構造になっています。日活ロマンポルノの時には、映画業界で機会に恵まれない多くの若手映画人が、成人ポルノ映画で手腕をふるいました。それは人材発掘の場にもなっていました。今のアダルトゲームの制作現場では、ゲーム業界だけではなくアニメ・漫画・小説といったいわゆるメディアミックス関連業界全般への人材・コンテンツの主要な供給源の1つとしても機能しています。これらの業界では、アダルトゲームからプロのクリエイターとしてのキャリアをスタートさせた人や、クリエイターとして著名になる課程でアダルトゲーム業界に関与した経験を持つ人たちも決して珍しいものではなくなっています。

アダルトゲーム創世記(1980年代)

アダルトビデオの存在が、ビデオデッキの普及に役立ったといわれるのと同じ様に、パソコンゲームの歴史の初期の頃からアダルトゲームは存在しています。日本で最も古いアダルトゲームはハドソンソフトのミソラーメングループがシャープのMZ-80K/C用に1981年に発売した野球拳からはじまりました。登場する女性はキャラクターグラフィックのみで描かれていて、とても簡素なゲームではありますが、当時はこれが最先端のゲームでした。その後、グラフィック機能を使用したアダルトゲームが発売されます。1982年/1983年(昭和57年/昭和58年)には光栄マイコンシステム(現:コーエーテクモゲームス))より、『ナイトライフ』、『オランダ妻は電気うなぎの夢を見るか?』、『団地妻の誘惑』といった、いわゆる光栄アダルト三部作が販売されました。同じく1983年(昭和58年)エニックス(現:スクウェア・エニックス)など後にコンシューマーゲームで名をはせるソフトメーカーから、PSK(パソコンショップ高知)・九十九電機のような現在のパソコンショップもアダルトゲームの制作・販売に参入してきました。より性的な内容に特化したソフトウェアの開発が進んで、10本以上のアダルトゲームが販売されました。1980年代半ばには、アダルトゲームの制作販売を専門とするジャスト、チャンピオンソフト、キララなどのソフトメーカーが現れ始めました。そして現在のアダルトゲームの元祖といわれる『天使たちの午後』(1985年(昭和60年) ジャスト )が登場して、アダルトゲームにキャラクター性とストーリー性を盛り込むという形式の原型が生まれました。しかし、当時はまだゲームオーバーが存在したり、話の流れが一様であったりと物語としては稚拙な面も存在しています。

また、同時代にはこのほかに脱衣麻雀に代表される”コンピューター版野球拳”のようなゲームもあって、ゲームの内容とは無関係に性的画像を表示さていました。その一点のみをもってアダルトゲームに分類されて、専用のコーナーに陳列されていた製品もみられました。このジャンルではゲームセンターにおいて、『雀豪ナイト』(1983年(昭和58年) 日本物産 )が、アーケードゲーム初の脱衣麻雀として登場して、「脱衣もの」というジャンルが確立されました。この時代には、社会一般の認知度は特殊な再生媒体によるポルノ作品で「ほぼ無視ないし無名」といった状態でした。このため業界共通の性的描写に関するガイドラインは存在していなかったので、性的描写は各企業の裁量に任されていました。しかし1986年(昭和61年)に、刑法177条(強姦罪)からタイトルを取った『177』(マカダミアソフト=デービーソフトの一部門)が、草川昭三によって国会で取り上げられたことによって次第にアダルトゲームは問題視されるようになりました。そして1988年(昭和63年)に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件や、それに端を発した有害コミック騒動によってポルノ業界そのものへの批判が強くなっていきました。

1990年代前半

1988年~1991年頃には、PC-9800シリーズが日本国内で販売されているPCハードウェアのシェアで圧倒的となり、16ビットパソコンの技術がある種の集大成を迎えることになりました。1986年(昭和61年)発売のPC-9801VM21以降はグラフィック、効果音、記憶媒体の性能がそれ以前に比べ向上したことにより、事実上のOS統一化などによる移植性の向上、製作に関する機器(スキャナ、グラフィックソフト)の値下がりなどもあって、作り手側にとってゲームが製作しやすい環境となりました。デジタル的だった色合いもアニメ的な色合いが出しやすくなりました。そのため製作本数が以前より増えて、多種多様なアダルトゲームが販売されましたが、その中で一部の作品が過激化し始めます。しかし1991年(平成3年)に中学生がアダルトゲームを万引きしたことによって、業界への非難が高まりました。制作企業の社長がわいせつ図画販売目的所持で京都府警に逮捕される事件、「沙織事件」が起きて事態を重大に捉える動きが生まれました。こうしたことから、業界によっての自主規制団体が立ち上げられることとなり、翌1992年(平成4年)にコンピュータソフトウェア倫理機構が設立されました。この逆風の中で非アダルトの美少女ゲーム『プリンセスメーカー』(1991年(平成3年)ガイナックス)と、『卒業 ~Graduation~』(1992年(平成4年)ジャパンホームビデオ)が登場したことで、パソコンゲームに育成シミュレーションゲームという新たなジャンルが加わりました。「美少女が題材でも面白いゲームが作れる」・「CGでもマンガ・アニメに劣らない魅力的な美少女が表現できる」ことが提示されて、このことがアダルトゲームにも大きな変化をもたらすことになりました。この中で頭角を現したのがエルフです。1992年(平成4年)12月にリリースされた『同級生』は10万本を越えるベストセラーとなりました。この作品は当初シミュレーションゲームの要素を取り入れたナンパゲームとして企画されていましたが、各ヒロインに個性とHシーンに至るまでの恋愛ドラマを盛り込んだ結果、それまでのアダルトゲームのイメージを覆す恋愛ゲームとして評価されることになりました。

そして『同級生』のドラマ性を参考にして開発された非アダルトの美少女ゲーム『ときめきメモリアル ~forever with you~』(1994年(平成6年)コナミ)が家庭用ゲーム機市場で大ヒットしたことによって、コンピュータゲームでも美少女ゲームが次第に市場に認知されるようになり、その中でアダルトなシーンまで踏み込むものとしてアダルトゲームが知られるようになりました。

1990年代中頃

この時期はハード的にはPC-9800シリーズとPC/AT互換機の端境期に、ソフト的にもDOS系のOSからGUIのWindowsへの移行期となっています。この頃のアダルトゲームは「どうゲームとして面白くするか」が試行錯誤された時期でもありました。その中で、プレイヤーの選択によって異なる物語と結末が訪れるマルチシナリオ・マルチエンディング形式のゲーム『弟切草』(1992年(平成4年)チュンソフト )がスーパーファミコンで発売されてヒットします。この作品のシステムはアダルトゲームにも大きな影響を及ぼしました。その一方で『SM調教師瞳』(スーパーファミコン)や『しあわせうさぎ』(PCエンジン)などの家庭用ゲーム機対応の「裏ソフト」と呼ばれる物が発売されたのもこの頃です。アダルトゲームでマルチシナリオを確立させたのは『河原崎家の一族』(1993年(平成5年)シルキーズ)です。その後『DESIRE ~背徳の螺旋~』(1994年(平成6年)シーズウェア)『EVE burst error』(1995年(平成7年)シーズウェア)へと発展していきます。また、マルチシナリオ以外ではファンタジーアドベンチャーとウォーシミュレーションの融合『ドラゴンナイト4』(1994年(平成6年)エルフ)と、本格的ダンジョンRPGの『闘神都市II』(1994年(平成6年)アリスソフト)がリリースされました。それ以降1995年(平成7年)に迷宮脱出推理アドベンチャーの『遺作』(エルフ)、マルチシナリオの『夢幻泡影』(アリスソフト)、1996年(平成8年)にはマルチシナリオの『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(エルフ)、地域制圧型シミュレーション『鬼畜王ランス』(アリスソフト)をリリース、エルフとアリスソフトの2社を中心とした開発競争が繰り広げられていき、「西のアリスソフト、東のエルフ」と呼ばれるようになりました。この中で発展を遂げていくのは、より恋愛物語色を強めた『同級生』の後継作『同級生2』(1994年/平成6年)で、以降のアダルトゲームはセックス描写を含む恋愛物語要素やシナリオを重視した、選択肢とイラストが付いた読み物とでも言うようなトレンドへと傾いていきました。

1990年代後半

技術面では、1995年(平成7年)のWindows95シリーズのヒットと、パソコンの低価格化によってパソコンユーザーの増加したこと。そして技術開発や記録媒体の大容量化による画像と、音楽表現能力の著しい向上が見られるようになりますが、1999年(平成11年)に成立した『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』によってアダルト・ポルノ業界に対する規制が強化されたことによって、対応が迫られるようになりました。そんな中で、テレビアニメ『美少女戦士セーラームーン』・『新世紀エヴァンゲリオン』・『カードキャプターさくら』の大ヒットということがあって、いわゆる「オタク」と呼ばれる層の漫画・アニメ市場が拡大した時期でもあったので、アダルトゲームはその流れに乗る形で発展するようになります。オタク文化と呼ばれる文化の一翼を担ってメディアミックスも活発になっていきました。こうして純粋に性的興奮を目的としたアダルトビデオなどとは異なる道を進むようになりました。

この流れを作った初めの作品として『Pia♥キャロットへようこそ!!』(1996年(平成8年)カクテル・ソフト)があげられます。ゲームシステムは『ときめきメモリアル』の簡易・縮小版というようなものでしたが、徹底して美しさ・エロさよりも、かわいらしさを追求したキャラクター作りと等身大のラブストーリーが話題を呼ぶことになり、翌1997年(平成9年)に発売された続編『Pia♥キャロットへようこそ!!2』で10万本以上の大ヒット作になりました。この作品の人気は、後に秋葉原から始まったオタク文化の代名詞的存在、「メイド喫茶・コスプレ喫茶」のアイディア母体にもなっています。

ゲーム性をばっさりと切り捨てて、ビジュアルとストーリーそして音楽を重視した「ビジュアルノベル」と呼ばれる形式の作品が出るのもこの頃です。1996年(平成8年)にLeafは『弟切草』を参考にした、ビジュアルノベル第一作 『雫』を制作しました。続いて同じコンセプトの『痕』を同年に発売しています。まだまだインターネットが普及していない時代ではありましたが、パソコン通信や口コミでどんどん広がりを見せてヒットすることになりました。ゲーム性からストーリー性への変更が業界に定着したのもこの成功がキッカケです。翌1997年(平成9年)に出た『To Heart』は、日常が舞台の恋愛ゲームとしてアダルトゲームの枠を飛び越えて、家庭用ゲーム機移植化・アニメ化漫画化などのメディアミックスが図られました。プレイヤーの好みのキャラクターを用意するために、幼馴染・活発・無口・外国人などの定型的なキャラクターの先駆けにもなったのがこの作品からです。Leafとはまた別の方向でストーリー重視を打ち出して成功したのが『ONE 〜輝く季節へ〜』(1998年(平成10年)Tactics)です。ラブストーリーに感動できる要素と泣ける要素を盛り込んで、それを音楽によって高める演出の秀逸さで人気を集めることになり、後に「泣きゲー」の元祖作品とされました。この方向はのちに製作スタッフの一部がビジュアルアーツに移って旗揚げした新ブランドKeyの第一作『Kanon』(1999年/平成11年)、第二作『AIR』(2000年/平成12年)が立て続けに大ヒットになりました。『Pia♥キャロットへようこそ!!』・『To Heart』・『Kanon』の三作品の大ヒットは、コミックマーケットを中心とした同人のコスプレイヤー達の興味を引くことになり、ここから女性ユーザーの獲得に成功することになりました。アダルトゲームはアダルト・ポルノ業界で異色の存在となって確立されたものになっていき、恋愛ゲーム主流という業界の流れをつくりだしました。